いけばなのルーツや歴史

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いけばなの始まりと歴史
いけばなの始まりは遠く室町時代、武士の間で書院造りという現在の日本家屋の原型となる建築様式が確立され、この書院造りの床の間の飾りとして「たて花」という最初のいけばなの形がうまれました。
いけばなの歴史に関して、その発達の過程は「床の間」と深いかかわりがあります。「床の間」という座敷を飾る専用の空間ができ、掛け軸や香炉など置き方が規定され、花もまた床の間を飾る美術品と同様に考えられていました。
江戸時代になり武士階級では大広間のある屋敷を持つようになると豪華で大型のいけばなが要求されるようになり、「立花」が確立されます。
江戸時代も元禄の頃になると書院造りよりも簡素な「数奇屋造り」という住居が生まれます。町人達の間にも「床の間」が普及し「数奇屋造り」の小さな床の間に、より自由で日常的な「投げ入れ花」がもてはやされるようになり、それを元に「生花」が誕生します。
さらにこの後、一般の住宅にも応接間を取り入れる事が流行し、これに合うような「盛花」や「投げ入れ花」が脚光を浴びました。このように「いけばな」はその時代の住宅事情に伴って新しい広がりを生み出して今日に至っています。

たて花
鎌倉から室町、安土桃山時代にかけて書院造りという建築様式が確立され、床の間が出現しました。床の間には掛け軸や香炉、花などが飾られ、鑑賞されました。この床の間の花が様式化されて生まれたのが「たて花」です。

立花
初代、池坊専好が確立し、二代専好によって大成されたいけばなの様式です。江戸時代初期には、一大ブームを巻き起こし、最初の流派が生まれました。立花(華)を生けるのは池坊だけです。

茶花
茶室の構成要素として誕生したものです。たて花が立花として大型化する一方で、投げ入れ花が小型化し、茶花となりました。

生花(ショウカ・セイカ)
いけばなは、江戸時代の後期になると、一般の人々にも普及しました。そこで誰にでも習得し易いやさしい形式を備えた「生花」の様式が誕生しました。

盛花
明治時代、池坊の要職にあった小原雲心は、それまでなかった水盤という花器を使ったいけばなを考案し、脚光を浴びました。これが盛花と名づけられ雲心は後に小原流を創立します。始めははっきりした花型を持たなかった盛花も、いけばな人口の増加に伴って誰にでも理解しやすい花型が規定され、今日に至っています。

投げ入れ花
江戸時代になるとそれまであった単純に瓶にさす投げ入れが、華麗な立花に対して普段着のいけばなとして再評価されます。その後、大正、昭和にかけて盛花と共にやさしい花型が規定されました。

自由花
大正から昭和初期に登場したもので、造形的な表現を盛り込んだいけばなです。

前衛花
前衛花は金属や、石など植物以外の花を取り入れ、彫刻を思わせるようないけ方、造形いけばなともいいます。